税理士並河の歌談義(さいはて旅情歌編)(H24.12.27)

1「知床旅情」の原曲
 北海道を代表する歌「知床旅情」は1971年(昭和46年)加藤登紀子が歌って大ヒットしましたが、この原曲は1960年東宝映画「地の果てに生きるもの」の長期ロケ撮影打ち上げの際、森繁久弥が作曲して歌った「オホーツクの舟歌」です。
 メロディが同じでも歌のタイトル、歌詞が変われば聞く人の感じ方も変わります。
 「知床旅情」がロマンチックな旅情を謳歌しているのに対して「オホーツクの舟歌」は北の厳しい自然の海に生きる舟人(漁師)の人生と父祖の地クナシリへの想いをこめて唄ったものです。
 「オホーツクの舟歌」は曲の導入部分にナレーションが入り、森繁自身が歌ういわゆる森繁節の歌も好きですが、倍賞千恵子が歌っているこの曲は最高です。 

「オホーツクの舟歌」

 
 私は1968年(昭和43年)日清紡に入社した時、山梨出身の同期のO君はこの曲が大のお気に入りで、同期30名が飲んで騒いだ後、彼の音頭で肩を組んで同期のテーマ曲として「知床旅情」を全員で歌って宴を締めました。
 彼は私と同じく3年超で会社をやめ、私は国税専門官の道を歩みましたが、彼は公認会計士の試験を一発で合格して朝日監査法人(現あずさ監査法人)に入り、その後代表社員になって、ずっと親交を温めていました。
 0君は一橋大で合気道をやっていて頑強な体の持ち主でしたが、平成17年に急に胃がんで亡くなり、本当に残念な思いがしました。
 私にとって「知床旅情」は世界遺産にまでなった知床を擁す北海道の望郷の歌であるとともに今は亡き盟友O君への鎮魂の歌でもあります。
 
2 沖縄の「芭蕉布」
 「海の青さに空の青 南の風に緑葉の 芭蕉は・・・」と始まる「芭蕉布」という歌は南国沖縄の讃歌ですが、2番の歌詞では「首里の古城の石畳 昔をしのぶかたほとり ・・・」と続き、3番では「今は昔の しゅいてんじゃなし・・上納ささげた芭蕉布・・」
(注)しゅいてんじゃなしとは首里王様といった意味
とあって、芭蕉布が琉球王朝時代に紬などとともに貢献布として課税の対象になっていたことが表現されています。 (租税史で学んだ租庸調の調の名残)
 琉球王朝は1609年に薩摩藩(島津氏)の侵攻を受けて以後は薩摩藩の実質的な支配下に入りました。
 この「芭蕉布」という歌は私がたまに行く新宿の「歌声喫茶ともしび」ではここ10年程お客さんのリクエスト曲の常にトップとなっているほど人気があります。
 しかし現地の沖縄では本土で歌われるほどこの曲が好んで歌われているわけではないという話を聞きました。
 このうたは竹富島出身の吉川安一という作詞家と、大阪出身の作曲家普久原恒男が1965年(昭和40年)にハワイ三世の歌手クララ新川のための歌として作曲されたもので、曲の誕生が伝統的な沖縄音楽を超えたものであるからかもしれません。 

「芭蕉布」


3 2曲の共通点(1)全国区人気のご当地ソング
 2曲とも4分の3拍子のリズムで歌いやすく、独唱しても、斉唱や合唱しても歌う爽快感は抜群であるため、長く歌い継がれる名曲といえます。
 ご当地ソングながら泥臭いローカル色をぬぐって洗練された歌に仕上げられています。
(2)北と南の独自文化圏
 2曲とも最果ての地を舞台とした歌ですが、その地から本州等を「内地」と呼ぶことがあります。
 私が子供の頃、親や祖父母は北海道から本州へ行くときに「内地」に行くという表現を使っていたのを聞き、正直言ってちょっと違和感がありました。
 これは戦前における属地区分の内地・外地とは異なり、方言の一種と考えます。
 今、北海道ではこのように北海道以外を内地と呼ぶ習慣はない(死語になった)と聞いていますが、以前はなぜ内地という言葉を使っていたのか不思議です。
 北海道のことを地元では道内といいますが、辺境の地というか、新しき北海道独立王国という自覚から道内とそれ以外を分ける意味合いなのかよくわかりません。
 一方沖縄では沖縄県外を内地と呼んでいますが、沖縄の持つ歴史的な経緯もあり、今後は北海道のように使われなくなるかもしれません。
 
4 島国と防人
 「知床旅情」にはクナシリという地名が出てきますが、終戦直後北方4島はロシアに不法占拠されたまま既成事実が積み上げられ、かつてはかなりいいところまで話し合ったものの決着がつかず、最近では交渉が見られず結果として後退しており、厳しい状況です。
 また沖縄でも中国の尖閣列島の領土侵犯が繰り返され、日本側の毅然とした対応が望まれます。
 日本は昔から大八洲(おおやしま)と呼ばれ、海岸線の長さが100m以上の島の数が6852あり、人の住んでいる島は400あります。
 卒業ソングの定番「蛍の光」は通常2番までしか歌われませんが、4番の歌詞には
「千島の奥も沖縄も  八洲の国の護りなり  至らん国に勲(いさお)しく
 努めよわが背  つつがなく 」
また唱歌「われは海の子」の7番の歌詞では「いで大船を乗り出して 我は拾わん海の富
いで軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国」 となっています。
 歌の文句ではありませんが、まずは自分の国は自分で守る気概を持つことが大前提と思います。