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フジヤマのトビウオ

フジヤマのトビウオ<H21.08.31 更新>
 先の大戦後まもなく「フジヤマのトビウオ」と称賛され、世界的な競泳選手であった古橋広之進さんが 8月 2日に亡くなりました。昭和22(1947)年 400㍍自由形で世界新記録をマークし、昭和23(1948)年には 400㍍、1500㍍にも世界記録をうち立てました。昭和24(1949)年 8月アメリカ・ロサンゼルスで開催された全米水上選手権大会、日本にとって戦後初の国際競技会に出場し、 400、800 、1500㍍自由形 3種目でいずれも世界新記録という快挙を成し遂げて圧勝したのです。とりわけ1500㍍の予選では18分19秒 0という驚異的な記録をうち立て、アメリカのマスコミからは「フジヤマのトビウオ」と称賛されました。
 この快記録は、日本ではまだ暗いうち電波が途切れ途切れのラジオの実況放送でアナウンサーが「世界新記録」を絶叫、連呼して第一報が届き、新聞社は号外を出しラジオカーまで出動させ、敗戦でうちひしがれていた国民はこの快挙に歓喜したと伝えられています。昭和24(1949)年この年に私は生まれました。したがって国を挙げての喜びを知る由もありませんが、物心ついたころには古橋さんは既に国民的英雄として少年雑誌などに登場していました。また「1500㍍自由形18分19秒 0、驚異的な世界新記録」は、体育の教科書にも採り上げられていたような記憶があります。
 古橋さんが世界新記録を次々と出していた当時、日本国民は食べることすらままならなかった食糧事情にあり、主食の多くはふかしいも、すいとん、豆かす、とうもろこし粉などで、日本大学の学生であった古橋さんたちは苦心してこれらの食糧を入手し腹を満たして練習を続けたといわれています。荒廃から復興、そして高度成長へと大きく動いた戦後の昭和、うちひしがれた国民に生きる希望を与えたのは、並木路子の「りんごの唄」、通算33度も世界記録を塗り替えた古橋さんの力泳、そしてこの年湯川秀樹博士の日本人初のノーベル賞受賞であり、日本が息を吹き返すきっかけとなったともいわれています。
 競泳選手としての古橋さんはオリンピックとは巡り合わせが悪く、昭和23(1948)年のロンドン大会は日本は参加できず、次の昭和27(1952)年ヘルシンキ大会では病気の後遺症で実力を発揮できませんでした。競技生活から退いた後の古橋さんは、スポーツ界の指導者、役員として多くの功績を残しました。日本水泳連盟、国際水泳連盟の要職のほか、日本オリンピック委員会 (JOC)会長を歴任し、近年は東京オリンピック招致委員会の顧問を務め、東京招致のPR活動に参加していました。今年 2月、古橋さんの出身地浜松市にオープンした「古橋広之進記念浜松市総合水泳場」( 愛称『トビオ』) では少年少女たちが「平成のトビウオ」を目指しています。
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代表社員税理士 松尾 正

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