赤池三男第十四話「- 官用車 国税庁の場合 -」(H24.8.24)

 同じ人生ならば、運転手付きの車に乗る身分になってみたい。男のステイタス?である。加えて、会社の費用を使って銀座で飲みたい、のが半世紀前の男の我儘・勝手な願望であった。この当時は、わが国に車輌(自動車)も電話も普及していない時代だったから。
 税金を使用している役人でも然り。公用車で、送り迎えをして貰えたらなぁ。半世紀前の役人の願望であった。
 民間の社用族と違って役人の場合は、送迎用だけでは、車が付くわけではない。(優秀な)役人は、車の中で勉強したり、書き物をしているのである。
 彼らにとっては、車中は動く仕事場だから、社用族と同じ様に銀座・赤坂・六本木等の遊びには使用しない。
 その証明として、車両には、官庁ナンバーが付けられていた。「た」行である。あれは、官庁の車だ!と直ぐ分るから、批判を浴びるような車輌使用はしなかったし出来なかった、する筈も無い。役人自身の常識的な自粛。
 しかし、自粛を超えた批判があったのか、官庁ナンバー「た」行は廃止して、一般に車輌に開放した。解放したら解放したで「役人が遊びに使っていると、批判されるから」批判を眞ぐがれる為に—、とまた批判。
 いまでは、車輌ナンバーで、区別されているのはレンタル車両の「わ」行がある。
 大方の官用車は、黒塗りの大型車である。世の中の批判があって,やめたが一昔前まで、税務署長には運転手付きで、専用車が着いていた。
今では、署長さんも電車やバスを乗り継いで、てくてく歩いて出勤するらしい。
 賛否は何時の世にもあるもので、財務省もあっさり批判に引き下がってやめた。
 首長の乗車中に事故が起きたこともあった。新聞記事に出ると、これまた、当然ながら世の議論の対象となる。
 以前、国税庁の官用車は、全国525の税務署長が乗車するものだけでも、同数ある。本庁でも三大課長以上に付いていた。その他に、国税局では三大課長以上に付いていたから、全国で国税庁が保有する車両は、千台は下らなかったろう。運転手も同数いたことになる。大蔵省では、昭和40年代に、自粛しようとの声が出たが、結論が出ないまま継続された。
 時を経て、国会で全国官庁の車所有数を調べたことがあった。高級役人の送迎用に車を使うとは、税金の無駄だと。
 調査によると防衛庁と警察庁が圧倒的に多かった。両庁は、戦用車輌やパトロールカーなど、機動的な使用をするから当然である。これには調査側も納得した。
 ところが三番目に多かったのは、大蔵省だった。大蔵省には本省局や出先機関である、財務局、税関などを含む。
 昭和53年4月衆議院内閣委員会で公明党新井彬之議員「—1603台から2204台と過去五年間で、大蔵省の車の台数が601台も増えている。どの様な理由か。」
 これについては、何故か大蔵省は増えた理由を言っていない。「増えたものは、業務用の車。うち515台は国税庁の車」とだけ答えている。
 議論は、当然税務署長や国税局の幹部が、使用していると誤解され、批判の対象に成った。首長などにだけ使用していると思われたらしい。
 実際は、国税庁、税務署での車輌の使用は、調査用がもっぱら。だから増えた分は役人の送迎用ではない。
 調査等の行政に、都会では電車、地下鉄、バスの交通網が発達しているから、支障はないが、広大な納税地面積を有する過疎地の税務署では、車輌の使用しか方法は無い。
 電車もねエ!地下鉄もねエ!バスは、一日一台きり。こんな状態で税務の仕事が出来るわけがエ—と戯れ歌でも歌っているしかない。
 国税庁が使用している車両の多くは「調査用車輌」だった。署員が出張用に使用した。東京国税局でさえも神奈川、山梨、千葉、都下などで、交通不便な署に一台ずつ配置した。
 しかし、その運用に問題があって、暫くの間は使用されなかった。車の使用中に、もし、交通事後を起こしたら—が管理者の心配。当時は、よく事故が起きた。折角配置されながら、車輛の使用を禁じた署もあった。
 それから30年、都会地には配置を控えたところもあるが、札幌国税局、仙台国税局など、交通不便な初には、部門ごとに配置している普及ぶりである。税務署における車輌の使用は、決して税金の無駄使いとは批判できない。