国民栄誉賞(H25.4.1)

 今年 1月19日、昭和の大横綱大鵬こと納谷幸喜さんが72歳で亡くなりました。安倍普三首相は国民栄誉賞を授与することを決定し 2月25日首相官邸で表彰式を開き、現役横綱白鵬が遺影を掲げて同席したところで、自ら納谷さんの妻芳子さんに表彰状と盾、記念品の時計を贈呈しました。国民栄誉賞は、昭和52(1977)年に定められた国民栄誉賞表彰規定により、これまでに20人と 1団体に授与されていますが、きっかけは当時の福田赳夫首相がホームラン世界記録を達成した王貞治さんを讃えるために創設されたものでした。その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて その栄誉を讃えること」とされています。
 
 納谷さんは16歳で相撲界に入門して、昭和35(1960)年には大関に昇進しました。昭和36(1961)年にはライバル柏戸とともに横綱に昇進し「柏鵬時代」が幕を明けます。大鵬の横綱昇進の21歳 3か月は当時の最年少記録であり、幕内優勝回数32回は最多優勝回数として今も破られていません。語り継がれている名勝負は数多くありますが、「世紀の大誤審」もありました。昭和44(1969)年 3月場所 2日目、22歳の前頭筆頭の新鋭戸田との対戦、大鵬は土俵外へ押し出されたのですが、その前に戸田の足が土俵を割っていたことを見た行司式守伊之助は自信を持って大鵬に軍杯を上げました。しかし勝負審判から物言いがつき、協議の結果行司差し違えで戸田の勝ちとなり、大鵬の連勝も45でストップしたのです。写真やスローモーションビデオでも戸田の足が先に出ていることがはっきりし、後々「世紀の大誤審」と言われ続け、これをきっかけにビデオ判定の導入が早められたと言われています。
 
 大鵬は、我が国が高度成長時代の到来を象徴する力士であったと言われています。昭和36(1961)年「巨人、大鵬、玉子焼き」と言う流行語が一世を風靡し、大人も子どももこぞって巨人軍の長嶋茂雄選手や王 貞治選手らとともに、その活躍を讃えました。今や大鵬は亡くなり長嶋や王は引退して久しく、子どもたちにとって玉子焼きはめったに食べられないごちそうではなくなりました。ちなみに大鵬は「アンチ巨人」であったそうです。
 
 昭和46(1971)年10月、大鵬は31歳の若さで引退します。それから40年余り、生前に直接授与してあげられたらどんなによかっただろうかと言う声が多く聞かれました。肝心の受賞者本人は既にこの世におらず、輝かしい栄誉を伝える術がないというのはいかにも残念です。妻芳子さんは、表彰式のあと「とても光栄。主人に受け取ってもらえれたらもっとうれしかった」と語ったと報じられていましたが、やはり国民栄誉賞は本人の存命中に贈り、国民全体でその栄誉を讃えることが望まれます。そして4月1日、安倍首相は長嶋茂雄さんに松井秀喜さんとともに国民栄誉賞の授与を決定したという嬉しいニュースが届いたのです。
 

税理士法人みらい
代表社員税理士 松尾 正