日本の野球(H26.10.1)

 今年9月中の最高気温が平年を上回ったのは関東各地とも数日であり、残暑がほとんどないままにスポーツの秋を迎えました。澄みきった青空、乾燥した風の下でスポーツには最適な時季となりました。最近はサッカー人気に押されて野球の形勢が悪いともいわれていますが、野球は日本人の感性に合ったスポーツでゆるぎない娯楽の王座を維持していると思います。むしろ野球はプロ野球に限らず幅広い層で年々盛んになってきていると思われます。
 9月上旬、第6回IBAF女子野球ワールドカップが宮崎県で開催されました。侍ジャパン女子代表(通称:マドンナジャパン)は、アメリカとの決勝戦で3対0で勝利し、4連覇を達成しました。参加国は日本、オーストラリア、ベネズエラ、香港、アメリカ、カナダ、タイペイ、オランダの8か国でしたが、4年連続で日本が頂点にに立ちました。今大会での個人タイトルは日本が総なめで、4試合に登板し12イニング無失点のエース里 綾実投手がMVPに輝きました。また8月下旬には、富山県 で第28回目の全日本大学女子野球選手権大会が開催されましたが、こちらは日本体育大学が優勝しており、「マドンナたちの甲子園」とも称されて親しまれてきているところです。いずれも日刊紙などのスポーツ欄ではベタ記事扱いでしたが、日本の野球は女性にも浸透して全国的、世界的なスポーツとなっています。
 やや旧聞で恐縮ですが、プロ野球創成期を選手、監督として支えてきた川上哲治氏が93歳で亡くなったのが、1年前の10月28日のことでした。若い頃から「野球ひとすじ」で、戦前・戦後を通じて「弾丸ライナー」の打撃の第一人者として活躍し、「打撃の神様」と愛称され、「球が止まって見える」との名言を残しています。昭和36(1961)年巨人監督に就任し、セ・リーグを11回制していずれも日本シリーズ優勝を果たし、とりわけ昭和40(1965)年からは9年連続日本一の偉業を達成しました。監督退任後は、野球文化の発展のために全国を回って少年野球の普及に努めました。「勝負にこだわらず、強い体をつくり、強い心を養うのが第一。子どもたちに夢と楽しみをあげたかった。」のが目的だったそうです。平成 4(1992)年には選手として、指導者として球界に偉大な足跡を残したことから、野球界から初の文化功労者に選ばれています。
 野球は、明治初期にアメリカ人教師によって伝えられたといわれています。俳人で歌人でもある正岡子規(1867~1902) は、野球が導入されたころから熱心な選手であったといわれており、ベースボルを最初に「野球」と訳したのは子規であるとの俗説がありますが、正確には当時東大生であった中馬 庚 (ちゅうまん かのえ) が訳したとされています。子規が翻訳したのは、今日の野球用語の打者、走者、四球、直球などで、野球に関連する句や歌では「ベースボール」しか使っていません。
  ・草茂みベースボールの道白し・夏草やベースボールの人遠く ( 子規 )

税理士法人みらい 代表社員
税理士 松 尾  正