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代表者ブログ 「国産ジェット旅客機」(H27.04.01版)

 6年前から開発が進められていた三菱航空機(名古屋市)による初の国産ジェット旅客機「MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)」の開発、完成が最終段階を迎えています。5月下旬の初飛行に向けて三菱重工業の小牧南工場でほぼ完成した機体が初公開されました。試験用の機体は、空気抵抗を減らすため細長くシャープですっきりとした外観となっており、座席数は78~92席で近距離線用として開発されたものです。試験飛行を前に、燃費がライバル機より20%以上優れていることもあって、既に407機の受注があるそうです。日本で旅客機が開発されるのは、プロペラ旅客機のYS11以来で約50年ぶりとなります。
 先の大戦では、日本は世界的に評価されたゼロ戦など数々の名機を開発しましたが、敗戦により約7年間航空機の開発が禁じられました。昭和37(1962) 年特殊法人日本航空機製造が開発した戦後初の国産旅客機(プロペラ機)が初飛行し、昭和40(1965)年には国内定期路線に就航したのがYS11です。YS11は昭和48(1973)年までに182機製造されました。現在は航空自衛隊で13機使われているほか、海外ではフィリピンで2機、アメリカ、ギリシャで各1機が健在です。
 ゼロ戦(零式艦上戦闘機)は、昭和15(1940)年に日本海軍に正式採用となり、太平洋戦争開戦時は世界最高速度を誇り、旋回と宙返りの能力に優れ格闘性能がずば抜けた戦闘機といわれました。とりわけ最強最大の武器は、航続距離がけた外れであったことでした。当時諸外国の単座戦闘機の航続距離は、大体数百キロでしたがゼロ戦のそれは3千キロ以上を楽々と飛んだのです。しかし当初は無敵であったゼロ戦も昭和18(1943)年の終わりになると、アメリカ空軍の新鋭戦闘機グラマンF6Fやシコルスキーに太刀打ちできなくなってしまいました。
 明治時代には、愛媛県八幡浜浦(現・八幡浜市)に独創的な凧作りの名人といわれ、人間が空を飛ぶことを真剣に考えた人物に二宮忠八という人がいました。昭和12(1937)年ごろの小学校の教科書に「飛行機の発達」と題して二宮忠八のことが取り上げられいて、この教科書で学んだ作家吉村 昭は、二宮忠八という人物に興味を抱きノンフィクション小説「虹の翼」を著作しました。ライト兄弟が最初に飛行機を飛ばした明治36(1903)年よりも十数年も前に、独自の構想で航空機を考案したのが忠八であったのです。明治24(1891)年4月、忠八(28歳)は丸亀練兵場で行った飛行実験で、ゴムを動力にわずか10メートルでありましたが見事空を飛ぶことに成功したのです。ただ、こうした事実を当時の日本では世界に発信するというシステムがありませんでした。
 今後、世界では近距離路線向けの小型機の需要が、大幅に増えると予想されており、日本の航空機技術は世界的に高く評価されてきたことから、MRJが世界市場に大きく羽ばたいて日本経済に貢献することが期待されています。

税理士法人みらい 代表社員
税理士 松 尾  正

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