篤姫

篤姫<H20.8.28 更新>
 江戸時代末期、今から 150年ほど前のこと南国薩摩藩から第13代徳川将軍家定公に嫁ぎ、波乱の生涯を送った篤姫を主人公にしたNHK大河ドラマを楽しく観ています。 幕末維新を描いた作品はこれまでにも多くありましたが 女性を主人公にしたのはじめてのようです。しかも、この時代の人物として篤姫の知名度は決して高いとはいえず、女性では皇女和宮の方がよく知られた存在だと思います。
 一人の女性の生涯を通じて江戸幕府の終焉を描くこのドラマは、毎週高い視聴率を維持しており、その理由として若い女性層の人気が高いことが挙げられています。西郷隆盛、勝 海舟、坂本龍馬などこれまでそれぞれ主役として登場していた幕末維新のヒーローたちが脇役に回っているのもおもしろいところですが、演技力がすばらしい篤姫役の宮崎あおいが、年若い層にも親しみを持たれているからではないかと思います。また、今なお謎に包まれた江戸城大奥、大奥には 2,000人以上の女性がいて、老女、中臈などさまざまな役割があり、隔絶された社会を形成していました。大奥では何が行われたか、世継ぎを絶やさないためにはどのような工夫が凝らされていたのか、大奥で暮らす女性たちの愛憎劇の展開に多くの人々が引きつけられ、視聴率を高めているのかとも思います。
現在の平成という年号は、幕末のこのころに年号の候補なりながら不採用になったという言い伝えがあります。孝明天皇 (1847~1866年) のころの「元治」(1864 ~1865年) という年号の時期に、武家が京都で戦争を起こし都を丸焼けにしてしまった、「保元・平治の乱から一字ずつ採った年号が悪い」ということで年号を変えることにしました。当時の年号の決め方としては、公家たちが原案を示し朝廷と幕府との話し合いで決められていたそうですが、原案の中に「平成」があったものの、「再び平治のように成る」との理由で採用されず、「慶応」となったとあります。
 1868年徳川幕府は、遂に崩壊しました。新政府は江戸城総攻撃に向かいますが、この時西郷隆盛と勝 海舟とが会談し講和をまとめて江戸を火の海から救い、江戸城は無血のまま新政府に明け渡されたというのが今日の定説であります。西郷のもとには勝との会談の前に、尼僧大田垣蓮月から戦争回避を願う一つの和歌が届けられ、それには「あだ味方 勝つも負くるも哀れなり 同じ御国の人と思へば」とあり、西郷の決断に大きな影響を及ぼしたといわれています。はたして、これからの「篤姫」の中でこのようなことが描かれるのかどうか、今後の展開をお楽しみに!
税理士法人みらい
代表社員税理士 松尾 正