それは震源地から遠い首都圏でも震度 5強の強い揺れでした。気象庁によれば、東北沖から関東沖まで数百キロメートルにわたって断層が動いたといいます。最初の揺れは、横に大きくそして 2度、 3度、 4度・・と長い間大地は揺れ続けました。首都圏でいえば、震度 4以上の揺れが 2分以上も続き最初の揺れは 5分以上にも及んだといいます。ホームに停車中の電車は走行中のようにガタンガタンと揺れ、建物はきしみ、電線はうなりをあげて波打ちました。高層ビルの中は、嵐の中の小舟のように揺れ動いたといいます。
揺れが落ち着き、建物から飛び出したり駅のホームから押し出された人々が緊張した面持ちでいるとき、街頭や駅構内のテレビが一斉に震源地東北地方の各地からリアルタイムの放映を始めました。明治以来、観測史上国内最大というマグニチュード8.8(その後マグニチュード 9.0に訂正)という巨大地震であると報じられました。
間もなく押し寄せる津波の映像となり、がれきと海水が入り混じった津波が濁流となって家を道路を畑を軽々と呑み込んでいき、更に走っている車にのしかかるばかりではなく、港にあった漁船は濁流に乗せられ防波堤を乗り越えて次々と建物を押し倒していきました。生命、財産、街並みを容赦なく呑み込んでいく残酷な映像は、正視することができませんでした。
この度の東北地方の大震災、その被害の全容は未だ把握されていない状況にあります。しかし大震災被害との闘いは各地ではじまっています。いま国民のすべてが被害者への救済・支援に取り組んでおり、被災者の痛みを少しでも分かち合おうとしています。未曾有の被害規模でありますが、救いは人々がお互いに深い思いやりを示し、難局にあっても秩序や規律が守られ、日本中が同じ目線に立って復旧、復興に向かって行動していることであります。「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」とは、 被災者や国民に向けた天皇陛下のメッセージです。
着の身着のまま、食うや食わずで敗戦の焼け野原から復興を果たした経験、阪神大震災からの復興を思い出し、この大震災からの復興のために総力を結集しなければなりません。助け合いの心はひとつ、負けないぞ日本!
打ちのめされた被災地にも季節はめぐり、今月中には桜の開花が北上しみちのく路が桜に染まる時季が到来します。決して忘れられない春になります。
この度の大震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りしますとともに、行方不明の方々が一日も早く発見されますことを願ってやみません。
税理士 松尾 正