7月から、当HPの新コーナー「赤池三男のこんな話し あんな話し」を担当して頂く事になりました。毎月25日に登場します。ご愛読ください。
筆者の赤池三男氏を紹介いたします。元国税庁職員です。
昭和15年 長野県生まれ。氏の言葉を借りれば、貧しい農家の生まれ。
昭和34年 上田高校卒。自分の高校を名門だと言います理由は、真田の別邸跡の門をそのまま利用して校門としているから―――氏の洒落です。明治33年創立。卒業生は2万人超。文武両道で、東大は毎年5~6人。氏の頃は20人。甲子園に2度出場。政治家、経済人、ジャーナリストなど多くの著名人を輩出。
昭和42年 中央大学商学部卒。大学に行ける経済的余裕の無い当時、税務署で働きながら夜間部で勉強。同級生に都庁局長など。採用は、昭和35年東京国税局総務部。
その後、国税庁長官官房総務課に登用。
国税庁では、ノンキャリアながら初代「国会係長」に抜擢。登用と同時に、田中金脈・ロッキード事件が勃発。両問題は国税庁が主役だった。鋭い感覚での不眠不休の働きは大蔵省でも話題になった。政府も赤池情報を期待して注目。氏も自慢だ、と公言して憚らない。
この度、当社の支援で「花のお江戸で(改定版)」を発行する事になった。氏の交際範囲の広さを、充分に表現している。学歴の霞が関で、無学歴の凄い男が居ることを知っていただいて、是非読んでほしい。
大宅壮一東京マスコミ塾で、大宅壮一、扇谷正造、草柳大蔵、青地晨、等に学んだ。これらの教授で、政治家、芸能界、スポーツ界の人と広く交際。「花のお江戸で(改定版)」にも出てくる。
大森税務署副署長、東京国税局調査部統括官、国税庁監督官、税務大学校第1部教授、緑税務署長を歴任し、平成11年に玉川税務署長で退官。
現在は税理士、評論家として沢山の書を出している。氏曰く、大蔵省で教えられたことを、若い人に伝えていきたいので、当HPに「こんな話し あんな話し」を出筆する事にした。さて、どんな逸話が出てくるか。
氏は公表するなというが、歌謡曲の作詞をして、結構いい歌を作っている。
長野県の美しさを表現した「信濃・安曇野・梓川」、上田市無言館の戦没画学生慰霊美術館の鎮魂歌「母の祈り―慰霊美術館に眠るあなたに―」、「ひとり信濃路」など。作品の多くはDAMに配信されているから、一流に達している。「浅間のおんな旅」は、星野哲郎さんが生前「こんな詩を書ける人がまだいるのだね」と側近に語ったという。大きな勲章である。
本の出版、作詞など広い分野で能力を発揮している。今は高齢者の部類に属しているが、残り火を、思い切り燃やしてくれるだろう。
税理士法人みらい 代表社員税理士 松尾正