税理士並河のよもやま話『世界遺産「富岡製糸場」見学レポート』(H26.8.19)

1 世界遺産の登録
富岡製糸場は今年6月に富士山についで日本で18番目の世界遺産の登録となって注目され、観光客が殺到する様子がTVニュース等で報じられていました。
私は大学卒業後、紡績会社に就職し、製糸工場は興味がありましたが、世界遺産登録を機に是非見学したいと思い、お盆休みを利用して家族で行ってきました。
明治維新からわずか5年後に殖産興業政策を掲げた政府が輸出品である生糸の大量生産を可能にする器械製糸工場の導入を決め、ただちにその建設をすすめ、稼働にこぎつけたことは快挙でした。
建物が「木骨レンガ造り」という今ではあまり聞きなれない構造ですが、主要な施設が創業当時のままに残されていることや、絹産業の発展に貢献したことが世界遺産に推薦された大きな理由でした。

2 衣食住と繊維産業
人間が生活を営む上で欠くことのできないものとして「衣・食・住」が挙げられますが,食が一番先に来ていないことに不思議に思う方がいるかもしれません。
これは人間のみが尊厳を有し、衣を用いるからといわれています。
繊維産業は素材メーカーである川上から川中のアパレル、そして小売の川下まで広範囲にわたり、以前は小売りの手前の卸売は何次もあるという複雑な流通でした。
繊維の素材は天然の生糸、綿花、羊毛等と石油(化合繊)があり、化合繊以外は全て労働集約産業です。
この労働の担い手になったのは若い女子工員で、「女工哀史」や「ああ野麦峠」で描かれている厳しい労働によって日本の貴重な外貨が稼得されていました。
労働集約産業は品質と安い人件費のコスト競争力で生き残りが決まりますが、高賃金となった日本からは繊維工場がどんどん消えて、中国に移ってしまいました。
水が低きに流れるように今は更に中国からヴェトナムなど東南アジア諸国に生産拠点が移りつつあります。

3 世界遺産効果
私が子供の頃、社会科の教科書で、「日本は国土が狭く資源がないので原料を輸入して豊富な労働力でそれを加工して輸出する道しかない」と教えられ、そのとおり今は自動車、電機、機械等ですが、かつては軽工業である繊維産業の生糸、絹製品、綿糸、綿製品等が稼ぎ頭でした。
富岡製糸場の繰糸場の技術を伝習した工女たちは出身地に戻り,器械製糸の指導を行い製糸技術の普及に活躍しました。
この官営工場はその後民間へ払い下げられ、最後の所有者となった片倉工業㈱は操業停止後も長い間メンテを続けられ、それが世界遺産として今に生きています。

世界遺産に登録されることは地域活性化のためにはまたとないチャンスです。
長い間の地元の運動が実り、悲願である世界遺産の登録となり、地域の力の入れ方は随所に感じ取れましたが、その一つはオレンジの服を着たボランテァガイドさんの存在です。
総勢60名ほどのガイドさんはよく勉強しており、熱意ある約30分の解説は聴く人に良く伝わりました。
この富岡製糸場は日本の近代のものづくりの象徴として、その原点を忘れないためにも多くの人が見学して、先駆者の精神を次代につなげてほしいものです。