1 応援団いまむかし
応援団といえば「オス!」、「オッス!」という挨拶が思い浮かびますが、この言葉は私と同年代の人にとっては学生時代に男同士で普通に使われていたような気がします。
年代が若くなるにつれこの言葉は聞いたことはあっても自分で発した経験はないという人が結構多い。
武道では「押忍」という字を使い、抑え我慢する意味が込められ、「おはようございます」の略とは違うようですが、時代や環境が異なれば言葉の使われ方も変わっていきます。
昔、どおくまんプロが書いた「嗚呼!!花の応援団」という漫画は主人公の南河内大学応援団親衛隊長の青田赤道が「クエックエックエーッ」や「ちょんわちょんわ」と奇声をあげてのハチャメチャなストーリーは非常に面白かった。
応援団のイメージはこのような目立ちたがり屋でちょいワルもいますが、幹部には義侠心や責任感の強い人も多く、特にバンカラ系を私は好みます。
最近は時代的にダサいと思われているのか応援団のなり手がいないという話を聞きます。
私の母校でも新規に入らないため部員がどんどん減少し、最後に女性の応援団員が一人になった年がありました。
責任感の強い彼女は伝統ある応援団を存続するため、自ら留年して団員獲得に努め、廃部せずに済んで今では20数名まで増えました。彼女こそ「華の応援団」といえます。
2 プロ野球の応援(団)
スポーッの応援では野球が一番身近なものですが、私はプロ野球ではセは阪神、パは西武を応援しています。
今でこそパ・リーグは実力だけでなく人気も伴ってきましたが、かつてはパの応援が弱いと感じ、新宿の鈴木旗店から1メーター四方の星条旗と日章旗を購入して勝手に西武球場の外野芝生席で米国の助っ人外人の打席では星条旗を日本人選手では日の丸を振って応援した時期がありました。
周りの観客から「日米親善大使」のようだと云われて悦に入っていましたが、3か月くらいして私設応援団からちょっとした嫌味を言われたことを機に自分が常時応援できない事情も考慮し旗振りを辞めてしまった。
その昔東京国税局に東映フライヤーズの応援団長をされていた池田宗昭氏(故人)という有名な方がおられましたが、有給休暇を使い果たして各地への応援は苦労したとのお話を氏から直接聞いたことがありました。
トラキチと自称するだけに試合観戦では縦じまのユニフォームを着て猛虎のハチマキを締め、両手にメガホンの戦闘モードの応援スタイルは30年間変わっていません。
しかし毎年紙面一杯にタイガースへの愛に満ちた年賀状を書かれている宮本義仁氏には到底足許にも及びません。
3 いろいろな応援団
プロ野球の応援は賑やかですが、都市対抗野球の方がもっと華やかです。
都市対抗といっても実際は社会人の会社対抗であるため、出場するチームの顔ぶれは産業や個別企業の栄枯盛衰を垣間見ることができます。
古くは満州倶楽部,全鐘紡に始まり今は電機系、自動車系、JR、新日鉄、NTT等々。
私が一番印象に残っているのは熊谷組の鳶のはしごを使った三々七拍子の応援です。
これは出初式に似た伝統芸能ですが、スタンドの全ての観客を引き込む見事な演技で最高の盛り上がりを見せたものでした。(現在廃部。復活してもう一度見たいものです)
野球といえば昔も今も圧倒的人気を博している高校野球を語らずにはいられません。
百年目の今年の夏の決勝戦は東海大相模の一方的な展開でしたが、仙台育英が後半同点に追いつき甲子園球場全体から手拍手が沸き起こって、あるいはと思わせたがそれが精一杯で優勝旗の白河の関越えはまたしてもお預けとなりました。
真夏の甲子園の高校野球は球児も応援団も危険とも思われる猛暑の中でドラマを演じており、見る者に感動と元気を与えています。
高齢化、天変地異といった不安要素の多い日本にあって応援団は体育会系だけのものではなく、皆がそれぞれエールを送り合い、「人生応援団」「中小企業応援団]等自分たちのできることをこころがけ、お互いに元気をもたらしたいものです。