代表者ブログ「総中流時代があった」(H28.04.01版)

 年が明けてから月日の過ぎ行く早さを「1月往(い)ぬる、2月逃げる、3月去る」といいますが、既に今年も3か月が過ぎ去り春爛漫の時季となって、頬をなでる風が心地よくなりました。この間に東日本大震災から早くも5年が過ぎたところでありますが、大震災の復旧、復興が加速や成果を求められるあまり、乱暴に進められることがないよう願いたいものです。
 さて毎年行われる内閣府(旧総理府)の「国民生活に関する世論調査」では「生活の程度」を聞いています。回答者が上、中の上、中の中、中の下、下から選んだ結果を発表していますが、昭和40(1965)年には中が87%、下はわずか8%でありました。昭和42(1967)年発行の国民生活白書は「中流階級意識の増大」と指摘しています。当時高度成長で進んだ所得の平準化や被雇用者の急増、大量生産の増大などで「意識面で国民の生活に格差がなくなってきた」とも書かれたものです。昭和45(1970)年を過ぎたころになると、中は90%にも達し「一億総中流」時代が到来したのでした。台所には白い冷蔵庫、茶の間では家族がちゃぶ台を囲みテレビを見ている風景が一般的となったのもこの頃からでした。昭和59(1984)年の国民生活白書は、各種の数字を示して「日本の所得は、国際的にみても最も平準化されている」「ほとんどの人が中流意識を持っているのは平等意識が高いといえる」と結論づけています。
 向田邦子の随筆「お弁当」に「自分は中流である、と思っている人が九十一パーセントを占めているという。この統計を新聞で見たとき、私はこれは学校給食の影響だと思った。毎日一回、同じものを食べて大きくなれば、そういう世代が増えてゆけば、そう考えるようになって無理はないという気がした」と書いています。先の大戦後、学校給食が開始されるまでは「小学校の頃、お弁当の時間というのは、嫌でも、自分の家の貧富、家族の愛情というか、かまってもらっているかどうかを考えないわけにはいかない時間であった」ともあります。
 バブルの崩壊を経てかつての「一億総中流」は細り、日本の子どもの貧困は先進国の中で最悪レベルにあって、子ども6人に1人が「貧困」とされる水準にあるといいます。3食のうちしっかり食べているのは給食だけ、給食のない夏休みには体重が減る子さえいるともいいます。早急にこのような子どもの貧困を解消していかないと、これからの将来、日本は世界で最も若者が生きにくい先進国と言われるようになるかも知れません。普通に働き、普通に食べて、普通に家族と過ごすという当たり前の時代があったはずです。

税理士法人みらい 代表社員
税理士 松 尾  正