家庭用マッチの国内最大手の兼松日産農林株式会社が、マッチの製造販売事業から来年3月までに撤退するとの報道がありました。同社は明治38(1905)年に兵庫県姫路市でマッチ工場を始めましたが、最近では使い捨てライターや自動点火式コンロなどの普及でマッチの需要が急減し、唯一の製造ラインも老朽化した機械の故障が続き、続行できなくなったとの理由によるものです。おなじみの「燕」や「象」印の家庭用マッチは、来年3月以降は商標を引き継ぐ姫路市の株式会社日東社で製造販売が続けられるそうです。
マッチは姫路市周辺で日本の生産量の80%が生産されていますが、昭和50(1975)年ごろまで首都圏にも千葉県松戸市と茂原市の2か所にマッチ工場がありました。マッチは昭和49(1974)年8月まで、国税である物品税が1000本につき1円という税率で課税されていました。物品税といえば現行消費税が導入された際に廃止された間接税の一つですが、その課税対象物品は主としてぜいたく品とされていました。物品税は昭和12(1937)年に支那事変などの戦費調達を目的として創設され、昭和13(1937)年にはマッチが課税物品に加えられたのです。先の大戦前、戦中、戦後と35年以上もマッチはぜいたく品扱いとされていたのでした。生活必需品であるマッチが各家庭には割り当てられて配給された時代があり、しかも十分ではありませんでした。当時はとてもたばこを吸うのに使うだけのマッチの配給はなく、晴天の日は虫めがねでたばこに点火したほど貴重であったといいます。
火は人間の生活に必要不可欠なものですが、木の摩擦熱や火打ち石による発火法は手間のかかる作業でした。1827年にイギリスのジョン・ウォーカーが摩擦マッチを考案したのが現在のマッチの原点とされています。日本では当初高価な輸入品でしたが、明治8(1875)年フランスで学んだ金沢藩士がマッチの国産製造の提案者となり、東京・本所に設けた工場で本格的な生産を開始したという歴史があります。
マッチは箱自体に文字や絵などを印刷できるため、現在でも飲食店や旅館・ホテルなどでは自店の連絡先を入れたマッチをサービスで客に配っていることが多く見られます。実際の用途としては、仏壇のローソクの着火用や学校の理科の授業でアルコールランプに点火するために使う程度でしょうか。マッチのことを漢字で「燐寸」と書きますが、これは外来語(カタカナ語)の当て字であり、マッチ(英語:match)の語源は「ろうそくの芯」という意味だそうです。
税理士法人みらい 代表社員
税理士 松 尾 正