最近ではすっかり地味な話題となっていますが、厳しい自然を相手の南極観測、今年1月で南極の昭和基地が開設60周年を迎えました。日本人が初めて南極に足を踏み入れたのは、旧陸軍の白瀬中尉が率いた探検隊で大正元(1912)年のことでしたが、南極大陸にまでたどり着けませんでした。日本の観測隊が初めて南極大陸に上陸したのは、昭和32(1957)年1月29日、初代観測船「宗谷」により第1次観測隊員53人のうち、17人が南極大陸から4㎞のオングル島に上陸し、昭和基地を開設したのです。当初探検として始まった南極観測は、近年は地球環境の変化などに関心が移ってきています。
第1次隊では11人の隊員と19頭の樺太犬が越冬し、1年後の第2次隊と交替することになっていました。昭和33(1958)年2月、2次隊を乗せた宗谷は、海氷に阻まれて昭和基地にたどり着くことができず、小型機で越冬隊員11人とめす犬1頭、小犬8匹を宗谷に収容したところで天候が悪化し、雄犬15頭を昭和基地に残したままやむなく帰国したのでした。当時の日本の国力として、新鋭の砕氷船を建造するだけの能力がなかったため、中古船を改造したこの時の宗谷は砕氷能力に乏しく、外国の砕氷船の力を借りてようやく海氷域から脱出できたのです。。昭和34(1959)年1月、第3次隊が昭和基地を再訪したところ、1年間放置されたままの15頭の樺太犬のうちタロとジロの2頭の生存が確認され、日本国中が大きな感動と喜びにわき上がったものでした。このことは後に映画化され大ヒットしましたが、平成6(1994)年から南極大陸に動物を持ち込むことは禁じられています。
初代南極観測船宗谷、戦前に商船として建造され旧海軍では特務艦、戦後は戦地や大陸からの帰還者を運ぶ引揚船、海上保安庁の灯台補給船、巡視船となり、その後南極観測船へと改造されたものでした。この時すでに建造から18年経った老朽船を精一杯改造して、地球上で最も危険な海域への航海に使用したのでした。数奇な運命をたどった初代宗谷の南極への旅立ちは、東京・晴海の埠頭で大群衆に見送られ、港中の船からいっせいに汽笛を鳴らして門出を祝福されたといいます。
宗谷引退のあと、平成21(2009)年に4代目の観測船「しらせ」が就航し、現在93人の58次隊が活動していますが、女性隊員が過去最多の14人が参加しており、うち6人が越冬することとなっています。日本観測隊のこれまでの最大の成果は、昭和57(1982)年世界に先駆けて「オゾンホール」の発見です。その後オゾンホールは地球全体の環境問題として認識され、国際的なフロン規制につながっています。
税理士法人みらい 代表社員
税理士 松 尾 正