今回は連休に夕張で行われる高校卒業45周年同窓会に参加するため、私事で恐縮ですがふるさと夕張について記しました。
★ふるさと夕張について
私は自己紹介をするときは「昔炭鉱、今メロンで有名な夕張市出身です」と云ってきましたが、最近では更に「財政破綻の夕張市出身です」と付け加える必要になりました。
夕張市の財政が破綻した直接の理由は「タンコウからカンコウへ」という掛け声で民間が撤退した観光事業を市が肩代わりして借金が累積したためですが、かって黒ダイヤといわれた基幹産業の石炭の産出がなくその税収がなくなったことが最大の原因です。
昭和52年(1977年)夕張を舞台とした高倉健、倍賞千恵子主演映画「幸福の黄色いハンカチ」が上映された頃は既に往時の人口12万人の半分くらいまでに減少していましたが、現在では更に離散が進み1万2千人となっています。
余談ですが人口の激減率でいえば長崎の軍艦島(三菱鉱業高島鉱業所端島坑)でピーク時5500人いましたが、現在廃墟の無人島となり最近観光地として有望視されている。
私の父が技師として勤めていた北炭夕張(代表は政商といわれた萩原吉太郎氏)はかって三井財閥のドル箱的存在で明治23年(1890年)夕張採炭所が設置され、明治・大正・昭和と一世紀にわたり質の良い夕張炭の名でエネルギー供給地として産業界に貢献してきましたが、エネルギー革命により石油が主役になり、石炭は消え去ることになった。(夕張炭はカロリーの高い良質ゆえガス爆発事故の悲惨な歴史あり。なお隣の中国ではいまだに石油より石炭が主流です)
★鉱山(ヤマ)の宿命
日本にはかって多くの鉱山が稼動していましたが、鉱床が掘り尽くされたり、埋蔵量があってもコスト競争力に破れて、廃坑閉山に追い込まれ、現在でも採鉱されているヤマは金鉱として鹿児島県にある菱刈鉱山(住友金属鉱山)くらいといわれています。
最近では「都市鉱山」という名で廃棄された電気製品の中に存在する希少金属(レアメタル)が埋蔵資源として注目されています。
鉱山の町では廃坑は廃校に通じ、寂しいことに私の卒業した小学校、中学校、高校は現在すべて廃校になっています。
諸行無常、栄枯盛衰とはよく言われますが、今はさびれている炭鉱町もかっては活気があふれ、栄華を誇った時代がありました。
今年、天皇皇后様はご成婚50周年目を迎えられますが、今から50年前の昭和34年に夕張は既にテレビが各家庭に普及し、私はご成婚祝賀パレードを実家で見ていました。
当時白黒テレビは三種の神器といわれ(他は冷蔵庫、洗濯機)、炭住街ではデモンストレーション効果の出やすい地域とはいえ、炭鉱の往時の好景気を示す証しでもありました。(その後の新三種の神器は3Cといわれるカラーテレビ、カー、クーラー)
高校時代の仲間との飲み会で「ふるさと夕張をどう再生するか」という話題で熱くなることがよくあります。
再生案として例えばSLを走らせる、富良野のように山全部をヒマワリのような花を植える、バイオエタノール原料の栽培といったアイデアが出ましたが・・・・
私はさめた見方かもしれませんが、夕張は寒冷の不便な山地に石炭があるから人が集まったのであってその石炭が取れなくなれば夕張の使命は終わり、長い時間をかけてもとの自然に帰るのはやむをえないと思っています。
しかし現実に高齢者を中心に多くの人々が生活を営んでいるのだから福祉や医療の切捨てによって町全体が楢山節考になるようなことはやめてほしい。
★夕張問題と日本の将来
日本全体としては東京の一極集中が進んでいるように、北海道では札幌に集中する傾向が強いが、悪いことに北海道自体ずっと経済的には構造不況に悩まされている。(拓銀の破綻に始まり、最近では丸井今井の倒産等)
夕張は財政再建団体の日本では第1号ということで全国から注目を浴び、励ましの声が多く寄せられて大変ありがたいことですが、甘えてはいけないと思う。
高齢化と過疎化は日本列島のいたるところで起きており、自治体も企業同様「自立自活が基本」であり、地方活性化のキーワードは「資源と人材」である。
夕張の場合メロン農家のいい見本があり、狭い地域に限定せず、広大な土地面積と天然資源をもつ北海道全体の中で農業をベースに地域再生をするのが望ましく思われます。
今自分ができることといえばふるさと納税をすること、そしてできるだけ北海道、夕張に行く機会を作り地元にお金を還元するくらいなものである。
生まれ育った夕張に誇りと感謝の念を持って残された人生を仲間とともに社会にお返しをしなければならないと自分に言い聞かせています。
最後に ガンバレ夕張!ガンバレ北海道!ガンバレ日本!