二千円札

 街行く人に「いま財布の中に二千円札を持っていますか」とたずねて、「持っている」という人は 100人に一人はいないでしょうし、 1,000人に聞いてみてもせいぜい一人か二人が持っていると答える程度かも知れません。これがちょうど10年前の平成12(2000)年、ミレニアム (千年紀) 記念事業として発行された二千円札が出回っている現状だと思います。出回っているお札のうちで二千円札の割合は現在 1%にも満たない 1億 1,000枚程度だといわれています。一万円札の71億枚、千円札の36億枚に比べてはるかに少ない流通量だということがわかります。
 わが国では 2ではじまる金額のお札は確かになじみが薄く、二千円札は大きさや色合いがほかのお札と紛らわしい、自動販売機やATMで使える機器が極めて限られているといったことなどから、 1、2 年のうちにあまり使われなくなってしまいました。 最初は物珍しさもあった二千円札は、日本銀行が平成 16(2004) 年度から新たに発行しなくなって一層全国的に流通しなくなってしまったのです。なお、イギリスではお札全体の 6割りが20ポンド紙幣であり、アメリカでも20ドル札が全体の四分の一を占めるなど海外では 2のつくお札は珍しくありません。
 二千円札の表面の絵柄は、沖縄・首里城守礼の門で沖縄の平和のシンボルが描かれてあります。平和を希求する紙幣でもあり、悲惨な戦争体験を持ち、唯一の被爆国である日本にとって意義のあるお札といえるでしょう。二千円札の発行を決めた小淵恵三元首相は発行前に急死されましたが、新札のデザインに守礼の門を選んだことは同年沖縄県で開催された主要国首脳会議 (サミット) と併せて、時の政府の沖縄県への気配りであったといわれています。
 沖縄県では経済界が中心となってボランティア組織「二千円札流通促進委員会」を設立し、「 1・ 2・ 3運動」を展開しているそうです。すなわち 1沖縄県民が 2千円札を 3枚づつ持とうという運動で、全国で唯一例外的に二千円札の流通量が増えているという結果をもたらしているといいます。二千円札が平和希求を持つ紙幣であるならば、こうした運動を全国的に広げていくことは所期の目的に沿ったものといえると思います。
 この夏、沖縄県の興南高校は全国高校野球大会で春夏連覇の快挙を成し遂げました。 また女子プロゴルファーの沖縄県出身宮里 藍はアメリカのツアーで日本人として年間最多の 5勝目をあげました。甲子園で、アメリカゴルフ界で殊勲をあげた沖縄県民、 それでも沖縄県は消えることのない重い現実を抱えています。とりわけ普天間基地問題は、現政権・前首相の迷走により二千円札発行時よりもこじれてしまったと評価されています。
 税理士法人みらい
 代表社員税理士  松尾 正