随想「雲は天才のようである」 税理士 並河義博
1 雲の魅力
一日の計は朝の天気予報にありですが、その日の天気の行方が気になります。
私は雲一つない快晴のお天気はもちろんいいとは思いますが、青い空にぽっかり浮かぶ白い雲や刷毛で描いたような、すじ雲など変化にとんだ雲をぼけーと眺めていることが好きです。
太陽は自然の恵みの主役ですが、雲は雨を呼ぶので貴重な脇役的(バイプレーヤー)存在です。(雲という字は「雨」と「云」からできています)
雲の形は変幻自在で、絶えず変化しながら流れており、その時々の形が何かに似ているかは見る人の勝手な想像にまかせ、絵でいえば抽象画のような芸術にも思え、雲は天才であると考えてしまった。
しかし形として見える雲は作品であるとすれば、その作者は天ないし、大自然となり、大自然は天才であると言い換えることもできます。
天変地異の激しいこの時代に何を悠長な「ノーテンキ」なことを云っているのかと笑われそうですが、子供のころから雲を見て何かの形を発見することに喜びを感じ、ある意味、幼友達のような親しみを感じています。
詩人の石川啄木の「雲は天才である」という小説は前半部が彼の教員生活の体験的内容で、後半部が主人公の教師の知人である天野朱雲という人物の主義主張が天才的であるという作品で、朱雲の名から小説の題名をつけたようです。
従ってこれは私が作品に勝手に抱いた、「孫悟空」や「ノンちゃん雲にのる」といった雲のもつメルヘンチックなイメージの話とは残念ながら無縁でした。
2 雲はなぜ浮かんでいるか
雲とは目に見えない水蒸気が蒸発して気体となって上空に上がり、冷やされて再び水蒸気となって水の粒や小さな氷の結晶になり、それが集まって空中に浮かんでいるものをいいます。
素朴な疑問として、液体や固体である雲がなんで空中に浮いているのか、空を見ながら不思議でなりませんでした。
雲のウイキペデアの解説によれば「雲粒一つ一つに働く重力や下降気流による力と、雲粒一つ一つを支える上昇気流による力が釣り合うことで雲は大気中に浮かび、雲粒が大きくて重力が増したり、下降気流の力が大きくなると雲粒は雨粒や雪の結晶となって落下する」そうです。
また雲が白く見えるのは、太陽の光が雲粒に当たって散乱し、すべての色の光を跳ね返し、反射率が高いためのようです。
雲が白く見えることはごく普通のことですが、太陽が赤いと表現するのは日本独特のことのようです。 欧米では太陽は黄色が主で、オレンジ色も使われます。 日本の場合、国旗の赤い日の丸のイメージが強いからと思われます。
むかし朝起きて、太陽が黄色く見えると言うと、にやりとしました。
3 歌に表現された雲
雲の科学的分析は気象庁にお任せするとして、私たちは「雲さん、今日は一体どんな姿を現してくれるのだろうか」といった雲との一期一会を楽しみたい。
歌の中に出てきた雲の例にはこんなものがあります。
「白雲なびく駿河台・・・<明大校歌>」 「流れる雲よ城山に・・・<青春の城下町>」
「戦雲くらく陽は落ちて・・・<白虎隊>」 「・・・雲とおこれや武田武士<武田節>」
「・・・ぽっかり浮かんだ白い雲<ひばりの旅笠道中>」 「ヒコーキ雲<ユーミン>」
「かすみか雲か<唱歌>」 「雲に乗りたい<黛ジュン>」 「夕焼け雲<千昌夫>」
「バラ色の雲<ビレッジシンガーズ>」「雲がゆく雲がゆく<アルプスの牧場>」ほか
これらを見ると雲は風とともに「風雲急を告げ」たり、のんびりとゆったりとしたり、色の変化があったりして、諸行無常そのものであることがよくわかります。
4「坂の上の雲」とその後
雲という言葉を聞いて、私が真っ先に思い浮かぶことは司馬遼太郎の長編歴史小説「坂の上の雲」です。
「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている」という一節から始まるこの小説はひたすら坂の上に浮かんだ雲を目指して登って行く若者たちと、明治という日本の青春像を描いた最高傑作です。
「坂の上の雲」が目指した日本は列強に追いつけ追い越せとの掛け声で、富国強兵、殖産興業で突っ走り、太平洋戦争の敗戦で第一ステージの幕が降りました。
そしてまた戦後の焼け跡から必死で、経済立国という次なる「坂の上の雲」を目指して邁進し、遂にはGDP世界第二位という経済大国まで上り詰めたところでバブルがはじけ、第二幕が閉じてしまいました。
平成の世になり、超高齢化による人口減少と公的債務の際限なき膨張の時代にどんな立ち位置で、どんな雲を見て進むのかは「この国のかたち」のあり方が問われています。
問題はあったにせよ、明治・大正の諸先輩のバイタリティは驚嘆すべきものがあります。
製造業を典型として経済はすでにグローバル化しており,ITの普及で情報を世界中が瞬時に共有する時代になってきていますが、どこの国も政治だけは旧態依然としています。
雲の話が飛躍しましたが,あまり長い時間パソコンや書類に集中しては眼精疲労になりますので、たまに空を見上げ、遠くの雲でも眺めてみようではありませんか。
誰にも邪魔されず、ただで楽しめる小さな幸せ「クラウド(雲)ウオッチング」を是非お勧めしたいと思います。
また「雲」だけでなく、「海」や「山」、「動植物」といったものや、身近なものでは例えば電車内等の「人間観察」がもっとも飽きないものであることを付け加えます。(完)