税理士並河の歌談義(北の漁歌編)(H24.12.6)

歌談義(北の漁歌編)

1 「ソーラン節」&「石狩挽歌」とニシン
 「ヤーレンソーラン・・・・・ ニシン来たかとカモメに聞けば わたしゃ立つ鳥 波に聞けチョイ・・・・・」ご存知、北海道民謡「ソーラン節」の一節に出てくるニシン漁は今から5百年も前に蝦夷地と呼ばれたころから行われ、食料とされたほかに江戸時代では釜で炊いて魚油を搾りだし、残った鰊粕は高級肥料として使われていた。
 ニシン漁は明治30年がピークといわれ、戦後も昭和29年の群来以降乱獲の影響で次第に海から姿を消し、戻ることなく現在に至っています。
 私が幼少の頃(昭和20年代)北海道の家々ではニシンを箱ごと買い、七輪で焼くとき魚の油があたり一面に飛び散って火が付き刺激的なシーンだったことや、保存用にニシンを割いて数の子や白子を取り分け、残りを身欠きにしんとして庭先に干していた光景が思い出されます。
 ニシン漁を景気よく歌った「ソーラン節」とは対照的に「石狩挽歌」はニシンが去った悲哀を1975年(昭和50年)なかにし礼作詞,浜圭介作曲で北原ミレイが見事に歌い上げました。
 「海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のやん衆が騒ぐ・・・・・あれからニシンはどこへ行ったやら・・・・・」
 (小樽の)オタモイ岬のニシン御殿も今じゃさびれてオンボロロ オンボロボロロという表現はニシン漁の栄枯盛衰を琵琶法師が平家物語を弾き語りしたように、聞く人の心に迫りくるものがあります。
 
2 「秋田音頭」とハタハタ 
 「秋田音頭」のはじめの歌詞に「・・・コラ秋田名物 八森ハタハタ男鹿で男鹿ブリコ(アーソレソレ)・・・」(ブリコとはハタハタの卵のこと)
 この「秋田音頭」は日本最古のラップとも言われ、軽快なリズムに乗せて陽気で滑稽な歌の文句が特徴ですが、もともとは江戸時代に藩主の佐竹公へ上覧にいれるために歌われたものといわれています。
 秋田の県魚といわれるハタハタは1970年代に大量に水揚げされ、80年代には漁獲量が減ってしまい、1992年~1995年には全面禁漁を行った。
 その後漁獲割り当て等を行い、関係者の努力が実ってハタハタは復活し、今では再び食卓で人々の口に入るようになって喜ばしい限りです。
 
3 今後の水産行政に期待するもの
 今回、本文を書くに至ったきっかけは月刊誌「WEDGE」2012年9月号の中でマルハニチロ水産の片野歩氏の「ウナギ激減の真犯人は日本人 漁業に求められる資源管理」という記事を読んで賛同したため、それを参考にさせていただきました。
 その中で片野氏は大漁旗はいらないとまで言い、水産資源が十分に再生産され持続性を保つために必要な資源管理制度の確立をノルウェーの模範例で訴えていました。
 海で生計を立てる漁師の精神的シンボルである大漁旗に罪はありませんが、根こそぎとると絶滅に瀕するので、ハタハタのように,また養殖等で「捕る漁業から育てる漁業へ」の努力によって海洋ニッポンが持続的、安定的に水産資源が確保できるよう望みたい。